いつも劇団メンソウルを応援して頂き、誠にありがとうございます。
劇団のコラムも随分長い間、更新もしておらず、ご心配をおかけしている方もいらっしゃったかと思います。 誠に申し訳ございません。
既にご存じかと思いますが、劇団創立メンバーである仲田育史が昨年12月17日、第22回公演「親父の記憶」ソワレ公演中に倒れ、そのまま急逝してしまうという大変無念な事態になってしまいました。
自分はもちろん劇団員も相当なショックを受け、代表として何を書けばいいのか分からないというのもありましたが、この事実を振り返ることを怖がり、現実逃避していたのも事実です。 しかし、育史が主役を務め、遺作となった舞台「親父の記憶」を見たいと言って下さる、沖縄のご家族やご友人、また応援して下さる方々に、映像を届けねばとの思いもあり、映像制作の矢ヶ部さんと共に映像の編集を終わらせまして、今日のコラムを書くキッカケとなりました。
仲田育史は沖縄の名護という自然豊かな土地で、愛情溢れるご家族の元で生まれ、とても魅力的な男でした。 人に優しく、恐ろしいくらいの根性があり、お酒が大好きで、仲間思いの、ダジャレが大好きな、ユニークで涙もろい男でした。
自分が出会った時の育史は19歳。 最初にいた劇団の2期後輩という事で知り合い「ずぶの素人ですがよろしくお願いします」と自己紹介をしたのを昨日のことの様に覚えてます。
奥さんはその劇団の育史の同期であり、自分は結婚式の代表挨拶もしましたし、もちろん子供が生まれた時も一緒に喜びました。
役者の中で最も古くから付き合っていた男であり、劇団の創立メンバーであり、一番多く酒を飲んだのも、一番怒ったのも、一番一緒に笑ったのも育史でした。 先輩後輩の垣根を越えて、田舎もんの自分が東京で知り合った中で一番の親友でもありました。
変に思われるかもしれませんが、未だに実感が湧きません。 育史が倒れた時、救急車の中、病院でも、最も近くにいましたが、本当に実感が湧きません。 劇団員と飲んでる最中にひょっこり現れる気がしています。
よく「役者は舞台の上で死ねれば本望」なんて言葉を聞きますが、そんなのは嘘です。 育史はもっともっと芝居をしたかったと思いますし、もっともっと子供の成長に寄り添いたかったと思います。
でも、もし生まれながらに寿命というものが決められていたならば、育史は最もドラマチックな死に様を選んだのかもしれません。 と、思う時もあります。 でも、こんなドラマチックは要らん、と、いつか説教してやります。
今回の事で、自分が最も尊敬する俳優の大先輩からお言葉を頂きました。 「人が亡くなると、残った、生きている者が、この先、どう生きるかが大事だ」 この言葉は自分に、また仲田家にとっても、生きる力となりました。
劇団メンソウル一同、精一杯生きる所存です。 今後ともどうぞよろしくお願い致します。
「親父の記憶」で支えてくれた客演の皆さん、スタッフさん、関係者、お客様。 またこれまで仲田育史に関わって下さった方々、応援して下さった皆様、心より感謝申し上げます。
劇団メンソウル代表 杉本凌士
追伸 仲田の遺作となった舞台「親父の記憶」ですが、とてもよく撮れている映像で、何より仲田育史の演技は素晴らしいです。 ご覧になりたい方は劇団インフォメーションにて詳細をご確認下さい。
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Date: 2023/04/06(木)
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